10年前のあの日はテレビとラジオを両方つけていた
あの頃は関東で1人暮らしをしていて
ちょうど買い出しを終えて帰ってきたところでした
ふー、やれやれ、とソファベッドに腰掛けたところで
大きな船に乗っているような揺れが来ました
入居時に鉄筋コンクリート造を選びましたので
一階でもこの揺れならつぶれることは無い、とは思っていました
一階に住んでてこれなら、実家はもっと揺れてるな、とか考えましたが
揺れが長かったので、これはただ事では無いと思ったのは覚えています
こんなときは国営放送、とテレビをつけ
もしやラジオのほうが情報早いこともあるかも、とラジオもつけ
そこから動かず、何が起きたのか、テレビを見続けました
今はもう映されなくなった津波の映像を
リアルタイムでテレビで見ました
本物の車ですし、本物の家でしたが
ジオラマか特撮か、そういったものを見ている気持ちになりました
子どもの頃、起き抜けに見た
阪神淡路大震災の映像もよぎりました
そういうふうに自分事に思えなかったのは
冷たいかもしれませんが、知り合いがいない、というのはあったかもしれません
これだけ揺れたなら、関東も多分電車動かないだろう、というのを
割とすぐに思いましたので
当時まだちゃんと友人たちと通じるtwitterをやっていましたので
「出先で情報を仕入れられない方、テレビ見ているので、連絡してください」と
つぶやきました
出かけていた友人にJRの発表前に
(当時はまだ○時に再開予定と言っていた)
「今日は多分もう電車動かないから、早く宿とった方がいい」と送り
信じなかった友人は新宿駅で夕方まで粘り
結果、カラオケ店でオールすることになったりしました
家族にはメールで無事を知らせました
実家は震源より遠いと思っていたので、大丈夫だろうとタカを括っていたら
慌てた叔母が電話してきて
「本当に電話回線を必要としている人がいるから、電話なんかかけるな」
と説教してしまいました
その後、計画停電になるので、23区内に住む人のところに行ったりしました
「ぽぽぽぽ~ん」ばかり見ていました
あれから10年
結局まだ人生で一度も東北に行ったことがありません
ちょっとだけ、寄付はしました
今日もYahooで検索しました
関西に来て、東北はより遠くなりました
あの日、たくさんの人が悲しくて、つらい思いをされたことでしょう
想像することしかできません
想像が追いついていません
まだ辛い思いをしている人がたくさんいらっしゃると思います
いろんな人が
「忘れないように」「自分にできることを」
私もそんなことを言ったことは何回もあります
あんまりありきたりなことを書きたくないです
私はたいしたことができていないので、おこがましい気がして
でも、残念ながら今の私にはそれしかできません
気の利いたことが書けなくて、ごめんなさい